今 帰 仁 城 跡

沖縄本島北部を代表する『城跡』です。
グスクといわれる沖縄の城は、多くの場合宗教的性格が強く、天守や櫓・曲輪等はありません。
この城は13世紀頃に築城されたと言われておりますが、築城者及び時期については不明となっております。
琉球が北山・中山・南山に分裂していた頃いわゆる『三山時代』の時期に築城された城とされ
北山王の居城であったと言われています。
15世紀初め頃、中山王の尚巴志が琉球を統一し、第1尚王朝になり
その課程で、北山も滅亡した後、北山監守在任の制度が作られ、第2尚王朝へもその制度は継承され
薩摩(鹿児島県)支配下の18世紀までその制度はあったそうです。
その間、薩摩軍による破壊もあり、往古の繁栄を見ることなく、この城は無人の廃墟となりました。
もし、中山王”尚巴志”でなく、北山王”攀安知(はんあんち)”が琉球統一をしていれば
今帰仁城が琉球の中心となっていたかもしれませんね。
1972年(昭和47年)沖縄施政権返還と同時に文部省(現在文部科学省)により国の史跡とされ
2000年(平成12年)に琉球グスク群の一つとして『世界遺産』に登録されました。

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今帰仁城内にある御内原(うーちばる)からは今帰仁村全域を眺められ、東支那海を望めば伊是名島・伊平屋島が見えます、又晴れた日には遠く与論島まで見られます。
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平郎門(へいろうもん)-入口ー 今帰仁城−石碑−
今帰仁城−城壁− 今帰仁城−城壁周辺−